
哺乳類や鳥類の皮膚の最外層である角層の主な成分は、ケラチンという硬いたんぱく質です。一般の微生物は、これを分解することが出来ません。土の中で果物や肉類がすぐ細菌やカビによって分解されてしまうのに、髪の毛などが長く残っているところからも分かります。
土の中の微生物は、土の上に落ちた有機物を分解して利用しています。その中で、それらのほとんどが利用できないケラチン等の硬いたんぱく質を利用できるようになれば、ケラチンの多い環境すなわちケラチンを持つ生物がたくさんいる場所では、生存競争に有利になります。実際にその能力を身に付けたのが、白癬菌の祖先なのです。
ベルギーの故ヴァンブルースゲム教授は、あちこちの土を取ってきて、その上にウマの毛(ゼラチンのかたまり)をおき、数日後、カビがそれに取りつき、増殖するという実験で、土の中にいてケラチンを分解・利用できる、白癬菌の祖先とも考えられるカビ(好ケラチン性真菌)を取り出すことに成功しました。
土の中を主なすみかとし、ときに人にもついて病気をおこす菌を、好土性菌と言います。
ケラチンを分解・利用できるカビにとっては、ケラチンの供給の不安定な土の中で偶然落ちてくる獲物(ケラチン)を待つよりも、ケラチンをつくる生物に直接とりつく(寄生する)ほうが効率的です。
しかし、カビが人の皮膚について一時的に増えたとしても、人にとってこのカビは「異物」です。人の皮膚を攻撃するような物質がつくと、それによる皮膚の障害がきっかけで炎症が起こり、その結果、攻撃されて壊れた皮膚の組織とともにその有害な物質は取り除かれ、修復の力が働いて元の正常な状態に戻ろうとします。
ただ、カビが単純な有害な物質と違うのは、生きていて進化する、という点です。 白癬菌以外のヒトに寄生しているカビの祖先と思われるものについて調べると、それらのカビにも、白癬菌の祖先のように、高等な動物や植物に匹敵する複雑なライフスタイルや、環境への巧みな適応が見られることがわかってきています。
こうして白癬菌は、寄生の過程で長い年月をかけて進化してきたのです。
全ての生物は、細胞の核の中にある「核酸」という物質でコントロールされていて、生物のすべての構造と機能は、核酸のプログラムによって決められています。 その核酸が、外部からの刺激によって障害を受けると、その多くは完全に修復されるものの、そのままになったり以前とは違う状態に修復されて核酸としての働きを続ける場合があります。これが、一般に特別変異と呼ばれる現象です。
一群の生物の中にいろんな状態に特別変異したものがいると、それらの個体はそれぞれ微妙に異なった能力を備えることになります。この差は、環境の変化に対応できるかどうかに関係してきます。 突然変異をして新しい環境に適応した生物は、増殖して新しい生物群として定着します。そして何らかの理由で起こる突然変異を繰り返しすことによって、新しい生物群ができる。生物の進化は、これの繰り返しなのです。
実際にこのように単純にいくわけではないにしても、ケラチンを分解する能力を持っているカビからヒトの皮膚の病原菌として存在するカビになるまでも、このような進化の結果であると考えられます。
最初は、好ケラチン性真菌(ケラチンを好む細菌)が人の皮膚にとりついても、免疫力が働いてすぐに排除されていたといわれています。
しかし、突然変異による進化の過程で、ある種の進化の結果、人の免疫能力や異物を完治する能力をあまり刺激せずに皮膚の上で生活することができるようになっていたのではないかと思われます。そうすれば、取り除かれることなく人の皮膚により長くとどまっていることが可能です。
こうして、人の皮膚で生活するのに適したカビが増えて発達した結果、現在のような人の皮膚に寄生して生活するカビがでてきたと考えられます。
ヒトの皮膚に寄生するカビと同じような進化の現象は、病原菌として知られるさまざまな微生物でも起こっていたことが知られています。宿主(寄生元、ヒト等)に寄生体(微生物)が長く寄生するほど、宿主側からの免疫力による反応が小さくなることが確認されています。
この関係がもっと進んだものは、人体の常在菌と呼ばれています。人体のある場所に住み着いて、新しくとりついた寄生体(多くは有害)がそこに定着するのを妨げる働きをし、人体にとってよい働きをするようにまでなるのです。皮膚に寄生する白癬菌の一部も、その一歩手前まで来ているのかもしれません。